どじょうすくい女将で有名な、安来市さぎの湯温泉旅館「竹葉」。地元を巻き込み嫁いだ旅館の再生ストーリー。

みなさん、こんにちは。
マラソンタレントの加納由理です。

今回のインタビューアーの加納由理です

加納由理
北海道マラソン優勝や名古屋国際女子マラソン優勝、ベルリン世界陸上の女子マラソン日本代表(7位)などの活躍を納め、2014年に現役を引退。現在は「生涯ランナー」をモットーに、ランニングを通して、「運動する喜び」や「続けることの大切さ」を伝えている。兵庫県出身。両親が島根県出身ということもあり、島根と全国の架け橋として、ふるさと親善大使の「遣島使」にも就任しました。

今回の舞台は、東京から飛行機で1時間半の島根県安来市。

縁結びなどの「むすびの神」である大国主大神を最神とする出雲大社をはじめ、 縁結びゆかりの神社やパワースポットなど特に女性人気が高まっている島根県よりお届けします。

今回取材したのは、出雲大社から車で1時間ほどの東に位置する、さぎの湯温泉の温泉旅館「竹葉」です。温泉といえば、合わせて取材をした1,300年の歴史がある玉造温泉も美肌の湯として有名ですが、このさぎの湯も負けていません。古くは白鷺がこの湯で脚の傷を癒やした伝説の残る、かけ流しの温泉というところも魅力的です。私も今回は玉造ハーフマラソンにソーシャルメディアでの発信がきっかけで参加させていただいたご縁がきっかけで、このさぎの湯温泉の竹葉に泊まらせていただき、マラソンの疲れを癒やしました。笑

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2016.12.10

竹葉の隣には、日本庭園で有名な足立美術館もあり、出雲大社と並び島根の代表する観光スポットの一つですが、そんな観光スポットに位置する旅館に嫁いだ女将さんの旅館の再生、そして地域活性化のストーリーをご紹介します。

さぎの湯温泉旅館「竹葉」の三代目女将 小幡 美香さん

小幡美香さん
島根県安来市『足立美術館』さんから徒歩30秒のさぎの湯温泉旅館『竹葉』の女将の小幡美香です。旅館の嫁いだことがきっかけで旅館女将となり、今では旅館のみならず旅館がある安来市の伝統を伝えていくことを通した地域活性や、マクロビオティックの調理法などのような健康食の提案などをしています!
夜の竹葉の顔

女将さんが温泉旅館「竹葉」の女将になるまで

女将さんは広島の短大を卒業後、地元の金融機関の就職。その後、当時竹葉の跡取りでもあったご主人と出会い、結婚され、温泉旅館の女将に進む道を歩んでいきます。経験のない旅館業への挑戦ということもあり、しばらくは、平日は金融機関で働きながら、週末になると旅館業の仕事をするという二足のわらじを履いた生活が続いたそうです。

旅館で働くようになって感じた危機感

竹葉の隣には、徒歩30秒という距離に、日本庭園で有名な足立美術館があります。

足立美術館は、アメリカの日本庭園専門誌『Sukiya Living/The Journal of Japanese Gardening(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)』で足立美術館が13年連続日本一(2015年)に選ばれるなど、国内外から観光客が押し寄せる島根の代表する人気観光地の1つです。

女将さんが働き始めた頃からも、足立美術館は観光地としても人気があり、週末にもなると人が賑わっていたそうです。ところが、隣にある竹葉では、週末にもかかわらず宿泊のお客さまの数は少なく、空室も目立っていました。また、旅館でランチ営業もしていたにもかかわらず、ランチのピーク時間帯ですら、従業員が交代して食事を取れる余裕すらあったといいます。

たまらず、女将さんは、当時の心境をこう話してくれました。

女将さん
こんなはずじゃなかったのに。。。私、嫁ぎ先を間違ったのかな?(汗)

竹葉の状況を知っていくうちに、竹葉に嫁いだからには、この状況を何とかして、まずは温泉旅館として竹葉を立て直そう!と決意していきます。そのために、収入の足しにもと思い続けていた金融機関の仕事も辞め、旅館に専念していくことに。そうやって、旅館業の経験が少ないながらも、温泉旅館竹葉の女将としての人生がスタートすることになりました。

名物女将になるきっかけとなったのは

まずは地元への営業からスタート

最初に女将さんが取り組んだことの一つは、「営業」だそうです。
旅館の営業?と聞いて、私も最初はピンと来なかったのですが、まずは外からくる観光客もさながら、もっと地元の人にも竹葉に来てもらいたい!という思いから、地元の企業や人に挨拶周りを始めたそうです。

女将さん
地元の人からは、「えっ?竹葉さんって、営業していたんだ。」と言われることもあったくらい、地元の人ですら、旅館が営業しているかどうかも知れ渡っていないの状況でした。地元の人に知ってもらって応援してもらうことができないのなら、どう頑張ってもその先にいる観光客の方に振り向いてもらうというのは難しい、そう感じました。

こう女将さんが語るように、インタビュー中、女将さんはよく「地元」ということを話していました。竹葉に人が集まるようにしていくためにも、まずは、地元の人に知ってもらうところから始め、さらには、竹葉だけではなく、地元と一緒になって盛り上げていこうという想いが、竹葉や女将さんのことをますます応援してもらえるようになる。こうした地元や地域と共に繁栄していこうという考えが、とっても素敵に思います。

地道なコツコツが花を開き、ご褒美がやってくる

まずは地元の人に知ってもらおうと竹葉の営業をし始めた女将さん。さらには、竹葉がある安来市のために、と活動していく中で、一躍女将さんの名が広まるきっかけになった出来事が起こります。

それは、2004年に、週刊誌のカラーページに「美人女将」として、女将さんが掲載されたことです。

これをきっかけに、新聞や雑誌などのメディアにも取材される機会も増え始め、さらには、地域の中だけではなく、地域の外の人とも繋がることが増え始めます。そこで、より竹葉や安来市の魅力を知ってもらおうと、当時注目を浴び始めようとしていたソーシャルメディアを使い、積極的に発信をしていくようになります。

実は、最初に私が女将さんのことを知るきっかけも、女将さんがほぼ毎日のように更新されているブログがきっかけでした。

女将さんが更新しているブログはこちら

私は、島根の玉造ハーフマラソン大会に出場するために宿泊地を探しているうちにたどり着いたのですが、女将さんのブログや竹葉のホームページを見ていると、竹葉のことだけではなくて、女将さんの考えや人となり、さらには安来市のまちの魅力なども知ることができました。私が泊まりに行く前から、「女将さんがどんな人なのか」とか、「安来市にはこんな場所がある」ということを事前に知ることができ、せっかく行くならこの女将さんの旅館に泊まりたいと思い、宿の予約をしました。

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今回私が出場した玉造ハーフマラソン大会の写真。

知ってもらうだけでは埋もれてしまう

メディアに取り上げられるなどして、美人女将として全国的にも名前が知れ渡っていった女将さん。実際に、女将さんに会いたい!という理由で、竹葉に来てくれるお客さんが増えたり、これまでと比べるまでもなく、竹葉にお客さんが入るようになったそうです。

一見すると、閑散としていた旅館の立て直しに成功したかのように思えますが、女将さんはさらにこんなことを考えます。

女将さん
お客さんは来てくれるようにはなったけれども、何かが足りない気がする。今のままだと、いつかはまた元の状態に戻ってしまうから、何かもっと個性を出していかないといけない

ある時、地元の人から声がかかる

そんな中、ある時女将さんに、地元の方から声がかかります。
この地元の方、実は、旅館のある安来市の伝統ある民謡の「安来節(やすぎぶし)」の「どじょうすくい」踊りの達人であり師匠

安来節とは・・・
安来節(やすぎぶし)は島根県安来市の民謡である。「どじょう踊り」という滑稽なおどりを含み、総合的な民俗芸能として、大正期を中心に全国的人気を博した。(Wikipediaより引用)竹葉の近くには「安来演芸館」があり、そこで「どじょうすくい」踊りが学べる。

どじょうすくいの師匠から、「安来の伝統芸であるどじょうすくいをやってみないか?」と声がかかります。

元来、どじょうすくいは女性が踊ることはほとんど見られなかったそうです。
逆にそこに目を付け、どじょうすくいを女性だからこそやってみないか?と話になったそうです。

伝統ある地元の踊りをもっと知ってもらいたいし、それを次の世代にも残していきたいという強い熱意もあり、女将さんは、地元の力にもなり、竹葉としての個性の一つにもなるという思いもあって、どじょうすくい踊り師匠に弟子入りします。こうして、今では全国にファンがいるくらい有名になった、島根の名物女将、どじょうすくい女将が誕生します。

結果として、個性を強く持っていくことで、竹葉、そして地元安来市のことを知る機会を増やし、地域の魅力をさらに伝えていきながら他との差別化にもつながり、ますます女将さんや竹葉のファンが増えたそうです。

このどじょうすくいは大手企業のTVCMにも取り上げられ、今では日本人に限らず、日本の伝統文化のどじょうすくい踊りを体験しにくる海外のお客さんも少なくないとのこと。

地元の食材のお料理で見つけたもの

地元を大切にする竹葉だからこそ、食事のメニューの多くは地元の食材をふんだんに使ったものが多いです。実際に私が食べた料理
も丁寧に竹葉のスタッフの方が説明して下さいました。

私がいただいた食事の中には、「干し柿の天ぷら」というものがありました。干し柿は良く子どもの頃はおやつとして食べていた私ですが、女将さんに聞くと、実は女将さんのご実家でお父さんが干し柿を作っていらっしゃる農家を営んでいるとのこと。しかも、このお父さんの干し柿は「百市の干し柿」というブランドで、あの日本橋千疋屋総本店で取引されるほどの逸品と聞いて、収穫時期のお忙しい時期にも関わらず無理を言って、女将さんのお父さんにもインタビューをしました。

日本一の干し柿「百市の干し柿」の熱血百姓

女将さんのお父さんこと「福岡博義」さん。

自らを”熱血百姓”と呼び、竹葉がある安来市の隣の松江市で百市ブランドの柿を栽培。第一勧銀(現みずほ銀行)で銀行マンとして務めていた40歳頃から、将来のビジョンを作り始め、柿の可能性にたどり着き、独自の栽培技術や商品開発を進め、退職後は農家経営に専念。千疋屋総本店にも干し柿を取り合われるなど独自の製法による干し柿は注目が集まっている。

銀行マン時代に、干し柿の研究をされていたときは、自宅から仕事場までの約20kmを、ご自身の足で走って通っていたという鉄人のようなお父さん。「50歳のときは、1,500m4分30秒代で走っていたよ」とさり気なく話すお父さんは、現在73歳だそうですが、お年を感じさせないエネルギーを感じます。

将来は、日本一の干し柿つくりをビジョンに掲げ、柿にまつわる商品を百市ブランドとして100種類開発していき、さらには国内だけではなく海外への展開も視野に入れていらっしゃるとのこと。すでに60を超える商品が開発され、私も試作段階のものをいくつかいただきました。

仕事はもちろん、趣味や遊びも一度やり始めると、トコトン極めたい。仕事だけではだめ。やるなら思いっ切り挑戦しないといけない、と語ってくれたお父さん。

きっと女将さんも、経験のなかった旅館に嫁ぎ、さらには女将として旅館の認知度を上げ、さらには地元の安来や島根の地域のPRをする、と言った女将の枠を超えた取り組みの原動力は、お父さん譲りの「やるなら思いっ切り。一番を目指せ。」という教えなのかな、と思った時間でした。

名物女将として有名になった今、女将さんが目指すこと

ここまで記事を読んでいただいた方は、女将さんに一度会ってみたい!と思っているに違いありません。笑

ですが、一つ気をつけないといけないことは、竹葉にふらっと行っても、女将さんがいないかもしれません!今は、安来市や島根県にとどまらず、全国での活動も増え始めているようです。それも、全ては、自分の旅館のためだけではなく、地元の安来市の魅力を全国に発信することが目的。

そんな地域の魅力を、ご自身自らが広告塔となって発信している女将さんが、この先にやっていきたいこととして話して下さった言葉が印象的でした。

女将さん
地域というのは一時的なブームで注目されたとしても、ブームが終わればすぐに元に戻ってしまいます。
人が来てくれたとしても、一時的なブームで終わらせないため、安来市ブランド、女将ブランドを確立させることが必要だと思っています。 そして、来てくれた人が自然と魅力を感じて、発信して、口コミや紹介をしてくれるようなところを目指していきたいです。

竹葉のどじょうすくい女将の小幡美香さんのまとめ

女将さんからは、旅館の立て直しや、地域活性化についての話はもとより、人間として、一人の女性としてご活躍されている姿に刺激を受けました。その中でも、私自身も大切にしたいと思ったのは、 「コツコツの積み重ねが、ご褒美として帰ってくる」という言葉です。

実際に、女将さんが自分の旅館の立て直しをしていくにあたり、まずは地元から知ってもらい、さらには地域のことも発信していくと言った小さな積み重ねが、結果的にメディアに取り上げるなどの大きな事を引き寄せたという話が印象的でした。

また、女将さんのお話を聞いていた中でも、「未来の安来市のためにも伝統芸である安来節、どじょうすくいを残していきたい」という想いが、ヒシヒシと伝わってきました。

きっとこうした地域への想いが、私のように多くの人に伝わり、いろんな人を動かし、そして結果としてご褒美がついてくるのではないかなと思います。

さぎの湯温泉旅館「竹葉」情報

住所:〒692-0064 島根県安来市古川町438
電話番号:0854-28-6231(9:00〜21:00)
客室:全和室7部屋、最大18名宿泊可能
公式サイト:http://www.chikuyou.jp

「百市の干し柿茶屋」情報

住所:〒699-0103 島根県松江市東出雲町上意東123
電話番号:0852-52-3189
公式サイト:http://www.hyakuichi.net/

マラソンタレント加納由理のプロフィール

加納由理(かのうゆり)
公式サイト:http://kanoyuri.run

公式サイトよりプロフィール引用

兵庫県高砂市出身。私立須磨女子高等学校を経て立命館大学経済学部に入学。陸上競技女子トラック長距離種目で無類の強さを誇りチャンピオンとして数々のタイトルを獲得。 卒業後、資生堂に入社し、横浜国際女子駅伝では、日本代表チームの一員として最長区間を区間新記録で走り、優勝に貢献。全日本実業団女子駅伝でも、最長区間を走り、資生堂を初優勝に導く。自身初マラソンとなる大阪国際女子マラソンでは3位になり、世界陸上女子マラソンの補欠に選出。その後、北海道マラソン優勝や名古屋国際女子マラソン優勝など数多くの実績を作り、ベルリン世界陸上の女子マラソン日本代表(7位)や香港東アジア競技大会ハーフマラソン(銀メダル)など国際大会でも活躍を納める。 2014年以降は実業団を一線は退きつつも、「生涯ランナー」を掲げ、ランニングを通して、「運動する喜び」や「続けることの大切さ」などをランニングイベントやランニングスクールの主催や協力を行っている。また、学校やビジネス団体向けにも講演を行うなどでも教育活動にも積極的に取り組んでいる。

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Kento Tanaka

まちづくりラボ運営チーム、編集長。北海道出身(1991年生まれ)。東京のベンチャー企業で、企業のWebマーケティングを中心に、企業の採用コンサルティングや旅館の再生などに携わり、その実績は超有名大手企業からベンチャー企業まで多岐にわたる。2016年に地元の北海道で会社設立。若き道産子起業家として、北海道、そして日本の観光を発信している。