兵庫県香美町小代区という兵庫県の中でも中心部から車で2時間、人口数千人の田舎で、今では毎年3000名近くのランナーがエントリーをして集まるという「みかた残酷マラソン全国大会」。
今年で24回目を迎えた2016年6月、みかた残酷マラソン全国大会の創立者でもあり、実行委員長である久保井洋次さんと、今回招待選手として参加した元日本代表ランナーの加納由理さんに、まちづくりとマラソン大会の可能性についてインタビューをした。
久保井洋次
みかた残酷マラソン全国大会実行委員長。マラソンとの出会いは33歳の時の突然の病を機に、健康のために医師のすすめもあってジョギングから始めたのがきっかけ。これまで、国内外合わせて200回以上のマラソン大会に参加をし、走行距離は6桁を超えている。兵庫県出身。
加納由理
第24回みかた残酷マラソン招待選手。北海道マラソン優勝や名古屋国際女子マラソン優勝、ベルリン世界陸上の女子マラソン日本代表(7位)などの活躍を納め、2014年に現役を引退。現在は「生涯ランナー」をモットーに、ランニングを通して、「運動する喜び」や「続けることの大切さ」を伝えている。兵庫県出身。
残酷マラソンという強烈なネーミング。残酷マラソンのきっかけは些細なところだった
残酷マラソンがスタートしたのは、1994年。毎年6月に欠かさず開催してきた残酷マラソン。2016年の今年は24回目を迎えました。残酷マラソンの正式大会名は、「みかた残酷マラソン全国大会」。マラソン大会に「残酷」のような強烈な言葉が入る大会は珍しい。
そう言ってもらえると主催者としては、してやったりって感じです。笑
もともとは、残酷マラソンという名前も、当時の町長が険しいコースから「残酷」が良いんじゃないか?と言ったことがきっかけで、スタートしました。当時は、ここまで大会が続くとは考えてもいなかったです。それでも、今となっては、3000名近い方がエントリーをして全国からこの香美町の小代に集まって来てくれる。こんなに嬉しいことはないですよ!
久保井さんは、自分自身が根っからのランナーで、マラソンが好き。そんな自分だからこそ、いざ大会を主催するとなった時に、ランナー視点で大会を企画すること心がけたようだ。
山奥の集落に1000名以上が集まるマラソン大会としてスタート。一方で、地域の住民たちとの距離を感じることも。
アクセスが決して良いとは言えない山奥に毎年1000名を超える人が集まるマラソン大会。まちづくりや地方活性という意味では、充分な手応えを感じていたという反面、久保井さん自身は違和感も感じ始めていたという。
地元の住民たちが、満足に参加できないのはもったいない!
大会ありきから住民ありきのコースへ。
住民たちの声の声に耳を傾け、第13回目よりコースを大きく変更し新しく生まれ変わった残酷マラソン。南北に縦長い香美町小代区ゆえに、これまでは町の北側の約半分のみを通るコースで、一部の地区の住民は参加することが難しかった。そこで、新しい道の開通もあって、新しいコースでは、全ての地区の住民が参加しやすいようなコースに変更をした。
実際、大幅なコースの変更に戸惑いや反対の声もあったようだ。
しかし、久保井さんは、コースの変更を、周囲の反対をも押し切って実施した。
そして、主催側は、もっと地域の住民たちにも参加をしやすい大会を作りたかった。僕は特別なことをしたわけではなく、ただこれらをつなげたかっただけなんです
と、多くは語らない久保井さん。
「失敗というのはない、全ては失敗ではなく次に繋がるチャンスだ」という久保井さんらしいコメントだったものの、きっとその背景にはいくつもの挑戦があったに違いない。
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